好きな国はどこかという問いかけ
「好きな国はどこですか?」
これまで多くの国に行ったことがあるため、よく聞かれるフレーズです。正直、これに答えるのには結構悩みます。国という単位で見ると、その中には多くの街や建築が含まれてしまうからです。
しかし、「好きな街はどこですか?」と聞かれると答えやすいです。シカゴ、オスロ、ポルト、クラクフ、タリン、シンガポール、次々と思い出と共に蘇る好きな街たちがあります。
アジアの街並み
私は建築士として建物を設計するのが普段の仕事ですが、そこには都市計画からの視点も切り離せないものです。
都市計画がなければ無秩序な建築が乱立してしまいます。ですが、決して都市計画がない訳ではないのですが、アジアの街はごちゃごちゃとしているところが多いように感じます。
街がごちゃごちゃしているだけで、せっかくデザインした建築の良さが際立たなくなってしまうように感じるのです。
しかしアジアの中でもシンガポールは、国がコンパクトであるというサイズ感もあって都市計画がされている様子を感じられました。
実際にシンガポールの都市計画を調べた記事もありますので、よかったら見てみてください。
上空写真だと少し分かりにくいかもしれませんが、都市計画の様子は道路幅員や公園、植栽の配置、交通網から感じられました。
インフラや公共施設のゆとりある配置がある中で建物も並べられているので、シンガポールは超高層ビルが多い街ですが、公園や植栽、道路といった余白空間とのバランスが整えられているように感じました。
しかし突如として「なぜここに超高層が?」と思うようなことが起こると街並みが崩れてしまいます。例えばクアラルンプールにはそれが言えました。
クアラルンプールは物価の安さもあり、コンドミニアムやサービスアパートメントを建てれば売れるため、次々と乱開発されてしまっているような印象を受けました。
建物一つ一つは個性的なデザインで面白いのですが、都市計画という基盤が整っていなければ、建物がただ主張しているだけにも見えてしまうのだと思いました。
超高層ビルという現代の技術が成して建てられた建物は、画一的な街並みを形成しかねない危ない建物だと思います。日本でも駅前再開発でどの街も似たり寄ったりになっている現象がいい例だと思います。
なので、たとえ超高層ビルが建つ場合でも、近代化の副作用である均質化に抵抗し、その都市の個性を感じられるような街並みに整える必要があると思います。
スタイリッシュな都市、シカゴ
シカゴはとても良い事例だと思います。1871年のシカゴ大火によって街が壊滅的な被害を受け、その復興で高層ビルの建設が進んできましたが、古い高層ビルと新しいビルが上手く混在している街だと思います。
それらが街に馴染んでいるのは何故だろうかと考えると、グリッドデザインを中心とした建物で調和しているというだけではなく、それらの足元にも理由があるように思いました。
シカゴは碁盤の目状に整えられた街並みで、高層ビル同士の程よい離隔距離を確保するように、道路幅員が広く設けられています。特に、歩道が広い点は圧迫感を減らせている大きな理由だと思います。
さらには、古くから使われている鉄道の鉄橋が道路上空にかかっている風景もシカゴの個性と言えます。
歩行者空間のゆとりと共に、道路が整然と整えられていると、デザインがバラバラな建物であったとしても整列して見え、そこに一体感を感じられるものだと思いました。
シカゴは碁盤の目状の道路計画といっても、そうではない部分ももちろんあります。ですが、それも良い効果を生んでいるのです。
なぜなら、直線の延長線上にアイストップのように建物が見えてくるからです。突き当たりが更なる都市空間の広がりを生んでいるとも言えます。
オスロの個性が現れる街と建築
超高層ビルがほとんどない街ですが、オスロの都市計画も参考にするべきものがあると思いました。
北欧は自然と共生したデザインが上手い国が多いと思いますが、特に都市・建築デザインの上手さを感じたのがオスロです。
オスロの街が良いのは、街並みと建築デザインに力を入れているところだと思います。
オスロ中心部の街並みで、中高層ビル群が低層に切り替わる部分があるのですが、それらは道路や公園が間にあり十分なゆとりを持って切り替えられていたため、都市風景の変化に順応していて上手いなと思いました。
それだけゆとりがあるため、歩行者空間にはところどころベンチが置かれ、人がたまる場所が必然として多くなっていました。
そして、個性的なデザインの建物が並んでいる風景もオスロで記憶に残りました。それらが魅力的に感じられるのは、やはり歩道や植栽帯のゆとりがあるからなのだと思います。
道路幅員が広く、特に歩道が広いというのは都市空間にダイレクトに効いてくる要素なのだと、前述したシカゴでもそうですし、共通して言えることなのだと思います。
歩道の広さが左右する都市のゆとり
歩道が広いというのは非常に重要なポイントです。それは多くの街を見てきて感じます。そこで立ち止まって話したり、建物のエントランス前のバッファーにもなります。
歩道が狭い所に建物が並ぶと、相乗的にとても窮屈に感じるものです。それは特にニューヨーク(マンハッタン)で強く感じた点でした。
高級レジデンスや高級ホテルなのにも関わらず、この狭い歩道からアクセスするのかと思ったことが多かったです。
ニューヨークは土地に余裕がないために、建物は基本的に敷地いっぱいに建てられます。それが経済的にも良いです。
建物にゆとりを持たせられないとすると、広い歩道や植栽帯、広場というゆとりを作る都市計画が特に重要なのだろうと思います。
ニューヨークはその密度感こそが個性とも言え、セントラルパークをはじめ都市空間のゆとりはきちんと見られますが、街中の植栽帯は少なく、もっと都市に分配されると良いだろうと思いました。
結局、人が心地よく感じるのは街における足元のデザインなのだと感じます。なので歩くところがガタガタだったり、ゴミが落ちていたりしては良い街並みには程遠くなってしまいます。例としてはパナマシティやホーチミンが挙げられます。
比較すると見えてくるもの
東京は清潔な街ですが、個人的には同じ清潔な街の中でもソウルやシンガポールの方が街並みが良く感じました。それには都市計画が絡んできているのだと思います。
私はまだまだ世界の都市の少ない側面しか見られていないと思いますが、それでも多くの情報に身をさらしてみると、良し悪しは感じるようになってくるものです。多くの国々に行くというのは、自分の感覚を磨くためにもとても大事なことだと思います。
今回は都市の比較からどんな街が良いのか、ということについて考えてみました。
※この記事では、建築士である筆者が世界の街や建築を見てきて感じたことを書いています。