はじめに
2019年4月に石川県に行ってきました。
西田幾多郎記念哲学館はかほく市にあり、金沢市の北側に位置します。設計は安藤忠雄さんです。
金沢周辺を1日に色々な建物を見て回ろうと計画していたため、金沢駅でレンタサイクルをし、かほく市の方まで行ってみました。
結果として1日に50km以上自転車を漕ぐことになったのですが、安藤建築はたどり着いた時の達成感を一際演出してくれます。
西田幾多郎(1870-1945)さんとは世界的な哲学者で、今日の哲学に深い示唆を与えた方とされています。
この哲学館はその哲学という「考えること」が主体の学問を建築で表現されており、安藤さんの設計スタイルと絶妙にマッチした建物になっています。
長いアプローチ「思索の道」
坂を登り敷地にたどり着くと、建物までは長いアプローチが取られていることが分かります。
その道は「思索の道」と名付けられており、自然に囲まれ傾斜の付いた道を登りながらエントランスまでの風景を楽しみ、そして思索する特別な空間となっています。
その道は一本の直線が伸びているのではなく、途中で折り返しをつけ一旦建物へ背を向けさせ視線を具体的な焦点からそらすような工夫もあります。
その具体的な焦点のそらしは、自分と向き合い、考えるために有効な時間を与えてくれるものでした。
[adchord]
堂々とそびえる大階段
思索の道を抜けると、視界が開け、先に大きな建物が控える大階段が現れます。
エントランスはその大階段の途中にありますが、手前のエレベータで垂直に上がり、水平なレベルまで持ち上げ、スロープでアプローチする方法もあります。
この大階段・エレベータ・スロープを見た時に淡路夢舞台(安藤さんによる作品)を思い出しました。
安藤さんが作る大階段は機能的な昇降装置ではなく、滑り台に設けられた階段のような遊びの付加物のように感じます。
階段を登り、反対側を見ると眼下に街の雄大な風景が広がります。
そんな風景を見ながら安藤建築は自然と建築の対比と強調が結果的に調和に結びついているのを感じさせられます。
考えながら歩く、歩きながら考える
西田幾多郎記念哲学館は「考えること」をテーマに設計された建物です。
展示空間は長い廊下によってアプローチするようになっており、考えながら歩くという哲学的な表現が建築でされています。
安藤さんの著書で「歩きながら考えよう 建築も、人生も」という本があり、私の好きな本の一つです。
「考えながら歩く」というのは哲学的で、「歩きながら考える」というのは建築的だとふと思いました。
「考えながら歩く」というのは物思いにふけっている時に、気づいたら歩みを進めていたようなイメージです。
「歩きながら考える」というのは目的の場所まで、あるいは景色を見ながら歩いていたら内向きな考えに浸っていたようなイメージを勝手に持ちました。
展示を見て進んでいくと、「空の庭」にたどり着きます。
単なる吹きさらしで高い壁に囲まれた真四角な空間なのです。
しかしそこは様々な思いや考えが昇華するような、それまでの長いアプローチを経なけらば意味をなさないであろう空間でした。
また展示棟と繋がっている別棟の地下には天から光が降り注ぐホワイエがあります。
地下へと歩を進める自分の足音がうるさく感じてしまうほど粛々とした空間です。
打ち放しのコンクリートで囲まれていますが、打ち放しのコンクリートというのは余計な情報(色彩的、テクスチャー的なもの)を与えないのかもしれないと思いました。
空間は確かに存在するのだけれども無に近い空間で、ひとえに定義できない抽象さがそこには存在していました。
展望ラウンジからの眺め
建物の最上階は展望ラウンジになっています。
建物の外からそこを見上げているだけであそこからの景色は素晴らしいのだろうと感じさせてくれます。
展望ラウンジからは白山連峰が見え、そして日本海側には沈む夕日が見え、時刻や季節の移ろいを監視できる貴重な場所です。
手前を見下ろすと大階段がありますが、その階段は建築というよりは自然の一つとしてそこにあるかのように見えました。
おわりに
久々に安藤建築を体験しましたが、視線を限定したり道を作り出していく、安藤さん的な建築に没頭させられました。
かほく市には他にも安藤さんの設計した小学校や、内井昭蔵さんの設計した博物館もあり、建築めぐりを楽しめる街になっています。