はじめに「氷点下のロンシャンへ」
「ロンシャン」という単語は建築に携わる者として何度も耳にしていましたが、それが地名ということを初めて知りました。
フランス国内でコルビュジェ建築はパリに多いですが、それ以外はパリから離れたところにあるため、色々回ろうとなると日数が必要です。
ロンシャンの礼拝堂はフランスの東側にあり、今回はスイスのバーゼルよりアクセスしました。パリから行くよりバーゼルから行くほうが断然近いのです。
行ったのは1月末ということで多少の寒さは覚悟していましたが、氷点下で深く積雪していたのは完全に下調べ不足でした。それでも曇天であっただけましかもしれません。
道中の景色、人との出会い
ロンシャン(Ronchamp)駅を降りるとそこは無人駅でした。
そしてローカル線なので電車は1時間に1本程度の便の少なさで、帰りの乗車券も予め買っておきましたが、それが正解だったようです。
一面雪化粧の景色で、これぞ冬という感じです。礼拝堂までの道は案内板があるのと、駅からだと一度道を曲がるだけなので非常に簡単です。
歩いていると曇り空だったのがなぜか自分の上部だけ急に青空になり、自然が歓迎してくれているようでした。
上り坂ということもあり、せっせと歩いていると車がたまに追い越していきます。
その何台目かが急に自分の横に止まり、中から話しかけてきました。40代くらいの紳士淑女が礼拝堂まで乗せて行ってくれるというのです。
その行為に甘んじて乗せてもらうと、「君をサヴォア邸で見たよ」と言われました。
建物ばかり見ていて自分は全く覚えていませんでした。。聞いてみるとその男性はカナダ人で女性は中国人で、建築家だと言っていました。そんな道中の出会いがありました。
レンゾ・ピアノのビジターセンター(ポルトリ)
到着するとまず、レンゾ・ピアノが2011年に設計したビジターセンターが出迎えます。
ここはコンクリートやガラスの表情が大面積を占めていて、もしかしたらコルビュジェへの敬意を示しているのかもしれないと勝手に思いました。
中にはショップや休憩スペース、展示があります。礼拝堂と別質の空間であるからこそ、そこが俗世界との緩衝地帯のように機能していました。
そしてコンクリートの壁に道筋を提示され、礼拝堂の方へと向かいます。
スケッチもしたあの礼拝堂へ
アプローチを存分に取り、礼拝堂へと向かいます。
スケッチもしたことのある正面ともいうべき顔がこちらを向いていました。局面の大屋根、中へと誘う壁、背後に分離される塔というように多要素がバランスを取り合っています。
そこに正方形だったり横長だったり大小様々な開口がランダムに開いています。
その壁に散らばる開口は分解されるピクセルのような様相で、そこがデジタルとアナログの結節点のようでもあります。
建物の外周は全面異なった表情をしていて、それぞれ別の建物を見ているようでした。
外と中の繋がり
コルビュジェは外と中という境界を無くす「建築的プロムナード」と言われるテーマをサヴォア邸の設計では掲げていましたが、自然と建築の関わり方に関して、この礼拝堂でもよく考えられているように思います。
建物の背後にある塔は光取りとして、その光は外から中に入ってくるものですが、中から外へ出ていくようにも見えます。
そのグラデーション的流れを作り出すために、この塔の高さは決められたのだと思います。また壁の隙間からも外部を干渉させる意図が見られます。
個人的に気に入ったのは、造形的な内外の繋がりとしてのキャンチレバーの踊り場です。それは内外で同じ形をしていて、扉を介して繋がっていました。
色んな種類の光に包まれる
ロンシャンの礼拝堂(Notre Dame du Haut)の魅力は”光”であると思います。そのために大屋根は局面になっているのだと思います。
塔からのハイサイドライトは神聖な明るさを持っていましたが、光が流れるように演出されるのはこの大屋根が局面を描いているからです。
それが内と外を繋ぎ、自分を内から外でもないどこかに連れ出すような光となって表れていました。
こんな強烈な(工学的強さではなく、体内に染み入るような)光をこれまで感じたことがありませんでした。
壁に大小様々に開けられた窓はもっと細やかに、そして屋内の均質さを奪うように光を放っていました。この状態を一つの言葉として捉えることはできませんでした。
強いていうのならば把握しきれない状態を作り出しています。それは建築が高次のものに近づくような、宗教的なものになろうとしているような、はたまたその間を行き来しているような状態です。
自然と建築の境界と向き合う「ロンシャンの礼拝堂(Notre Dame du Haut)」②へ続きます。