平城宮跡から奈良公園へ 《奈良・まちあるき》

まち

はじめに

日本の古都、奈良を歩き感じたことを書いてみます。奈良では平城宮跡から奈良公園までを歩きました。普段行かない場所や初めて行く場所では、移動手段に徒歩を優先的にすることが多いです。そちらの方が常に入ってくる情報に対して一つ一つ処理しやすいからです。

なので奈良でも徒歩です。それでも見落としているところは多分にあるので、無意識に情報を取捨しているのだと思っています。

平城宮跡第一大極殿

平城宮跡はとにかく広大な土地です。

まず初めに資料館に入り、ざっと平城宮の概要を学びました。ボランティアの解説員さんに教えてもらったのですが、そうすると印象に残りやすいです。

印象に残ったのは百万塔です。昔は毎日平城宮の敷地内で塔を模した戦死した人などを弔うものを木で作っていたそうです。その作った数の多さから百万棟というらしかったです。

大極殿は第一と第二があり、現在復元されているのは第一大極殿です。そして大極殿へ向かう軸線上に巨大な足場が建っていました。警備員の方が教えてくれたのですが、南門などを今後建設するのだそうです。

それに今敷地を囲っている塀も復元するということで、全て復元するのにあと二十数年かかるらしいとのことでした。かなり長期の計画です。

朱雀門と現在建設中の南門の間にも昔は建物があったのですが、電車を通してしまったためそれは建てられなくなってしまったのです。

電車を通す際に協議をして問題ない範囲に線路を敷いたのですが、いざ調査が進むと平城宮の敷地は思っていたより広かったそうで、それはもう後の祭りです。とても知識の豊富な警備員さんでした。

奈良公園

ここには鹿が平然といます。あまりに自然すぎてその光景は1分と経たずに慣れてしまいます。奈良のいいところは鹿が管理されている実態が見えにくいことにあるのではないかと思いました。

鹿の鳴き声は古い建具が軋むような音で可愛げはありませんが、襲ってくることがないのですぐそばを歩いていても安心です。鹿の性別はツノが生えているのが雄で生えていないのが雌です。

夕日が沈みあたりも暗くなった頃に奈良公園に行ってみるとすでに春日大社は閉まっていました。ですが奈良公園にある他の神社は見ることができました。

どんどん奥に進んでいけたので、行けるところまで行ってみようとひと気のないところに行くも、そうすると鹿気は出てくるのです。襲ってこないだろうという安心感が大きいため、目があっても何も起こらないのが鹿のいいところです。向こうも観光客に慣れているから安心しているのだと思います。

そこで鹿に関心を抱き、いろいろと調べてみました。

[鹿memo]
・1日に5kgの草を食べるため、観光客があげる数グラムの鹿せんべいは腹の足しにもならない
・記録として大阪の御堂筋まで遠征した鹿がいた
・年間約100頭が交通事故で死ぬ
・草を食べた鹿のフンは微生物に分解され肥料となる。それが草を育てその草を鹿が食べることで循環系を作っている

鹿が自生していることが奈良の観光資源にもなっているため、 この固有の”状況”が維持されていくといいなと思います。

まちづくりの可能性

古都で比較してみて、奈良は京都よりも都市化の波が押し寄せていないというのが率直な印象です。奈良や京都は「点」の力はかなり強いのですが、「線」の力は弱いように感じました。ここでの「線」は流動的な意味合いを含めています。

場を作っていく上でこれからの課題はその線にどんな意味を持たせるか、価値を付加するかということだろうと思います。線が結ばれると強烈な力を持ちます。何も手が打たれないままだと無秩序と化してしまい、それだと個性が失われかねないので危険です。

伝統的な古き良き日本というものが残っているため、発展の仕方にそれを活かさない手はないと思います。奈良だと「鹿」という唯一無二の存在があります。案外鹿の生息域が散らばることで、鹿の移動によって線の醸成は上手くいくかもしれないです。

もちろんそれによる弊害もあって安直かもしれないですが可能性があるように思います。奈良公園に鹿がいるのであれば平城京跡にいたっておかしくないように感じました。天然記念物としての鹿の指定範囲が現状「奈良市一円」という冗長性をもたせているので活用のしがいはあるように思います。

いくつかアイデアを出してみました。

[アイデアmemo]
・平城京にあった植樹手法を沿道に生かす(樹種:イヌツゲ。もともと建物下の杭が埋まっていた場所を示すために植えられている)
・その町オリジナルの街灯を設置(高知・香川(四国?)なんかは固有で共通のものであった)
・道路に鹿専用レーンを作ってみる(鹿の食べる草も一緒に。緑化も裏テーマとして)

街灯というのは訪れる先々で見てみると、多種多様で面白いです。歩道と車道用の街灯が枝分かれしたタイプが多いようです。街灯というデザインでは第一には取り組まれないであろうものがしっかり街固有のものになっていると、街の印象は一気に変わります。

おわりに

“気付き”というのはデータをどれだけインプットして比較対象にするか、そしてどれだけ疑いを持てるかでその数は変わってくるものだと思っています。日常で取りこぼしている気付きはたくさんありそうです。

以上、奈良でのまちあるきでした。

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