はじめに『世田谷の緑豊かな街並』
世田谷の街並みには緑が多いように感じられます。特に個人邸宅での樹木の割合が多いです。歩いていたら住宅の間に15mくらいの背丈の木があったりして驚きました。
そしてそこで発見したのが、その樹木という緩衝領域に向けた窓が透明ガラスで、かつカーテンも閉められていない住宅があったことです。
木のおかげで、通常気にする隣人へのプライバシーが緩和されるというとても理想的な形でした。そんな世田谷の街を感じ、美術館へ向かいました。
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コンセプトは”公園美術館”
世田谷美術館の設計は内井昭蔵(1933-2002)さんです。世田谷の砧公園内の北側にある美術館です。設計のコンセプトは「公園美術館」で、公園でしかできない形態を追求したそうです。
公園でしかできないことというのは、やはりその自然環境をどう内部に取り込むかという客観的アプローチだと思います。与条件は公園にはたくさんあります。
建築しない方が環境には優しいけれども、建築することがそれ以上の「何か」を産まなくてはならないという責任が一層重いと思います。
内井さんは建築の世界の流行に晒されながらも設計へのアプローチに独自性を持っていて、不易流行の言葉が似合う人です。
設計当初と違う色
外観は屋根が赤、壁が緑とベージュという配色でかなり個性的です。何か意味があるのかと文献を調べてみると、現在に反して竣工写真では屋根が緑でした。
最近塗装されたのかと思いましたがそれも違うらしいのです。実は屋根の緑は屋根材に緑青銅板を使っているためで、現在の赤色はその緑青が剥がれてしまって表れた色でした。
公園内にしてはどうもマッチしきれていない違和感の原因はここにありました。屋根はかまぼこ屋根が散らばるような構成で、陸屋根も片流れも見られるのですが建物内は全て繋がっています。
内井さんは建物がマッスなものになることを避けて分割し、それらの集合体として扱うことで公園の自然と触れ合う表面積を増やしています。
全体的にボリュームが抑えられていることも、公園内の木より高くならないようにするという意図が込められています。
地下には屋外広場とともにカフェがあって、公園の延長として空間利用の広がりがあります。
外壁にはショットブラストの施された小さな穴あきタイルが大量に使われています。
これらはプレキャストの打ち込みタイルなのですが、内井さんは「タイル部分の面積」と目地や穴から見える「コンクリートの部分の面積」を同比率にしたいという意図があったようです。
外壁の下部分は花崗岩で、それも一枚の大きな面になってしまうことを避け、縦目地を入れるように貼るということと、それらを15mm前後にずらして張り分けて陰影をつけるという全体の印象に関わるディテールの調整もされています。
またパーゴラの逆三角形の支柱が、構造と全体の装飾性の主役となっています。パーゴラ自体は建物と公園とを接続する中間領域を形成する装置となっています。
上品なエントランスと気持ちを切替える回廊
※内部は魅力的な空間だらけだったばかりに、写真撮影が禁止だったのが残念でした。
エントランスを入るとベージュのトラバーチンの内装と、ヴォールト天井からの光、2階へと続く階段、というような第一印象としてはホテルのロビーのような上品な空間でした。
展示室へは細長い回廊を歩いて入場します。
その回廊はパーゴラにもあった逆三角形の構造体の連続性と、両側面がガラス張りのため左手は公園の風景、右手は地下の広場という外への開放性で、清々しい気持ちに切り替わるようでした。
その回廊は先への期待を高める仕掛けとして効いています。展示室は建物が平面的な広がりがあるため先に先にと展示物が現れていくような構成でした。
薄暗く厳粛な空間
一通り見終わり展示室以外の内部空間も見ましたが、ミュージアムショップからレストラン側へと繋がる長い廊下が衝撃的な場所でした。何気なく行く場所のサプライズは堪らないものです。
やはり写真撮影が出来ないのが惜しいです。両側面がRCの壁で恐らくここは構造上三角形の構造体を必要としないように思われるのですが、壁から三角形が突出していて、その廊下面に照明が埋め込まれています。つまりそれは構造体を模した装飾なのです。
天井高は2層分あり、片持ちの天井が一旦貼られ、その上部がハイサイドライトとなっていて弱い光が差し込みます。北側採光かつ間接照明のような取り込み方のため、外からの光はかなり弱いです。
その全体のバランスと厳粛さに圧倒され瞬間的に立ち尽くしてしまいました。自分の経験上比類なく素晴らしい空間だと思っていたら、偶然通った二人組のおばあちゃんが「ここちょっと怖いねぇ」なんて話していました。なるほど言い得て妙です。
自分は建築視点で見ているけれども、全体イメージの捉え方としては一般の人の方が率直です。「厳粛」も「怖い」も紙一重な気はしますが、その僅かな差を埋めるための物質の足し引きを考えるのはとても難しいと思いました。
向井潤吉さんの展示
今回の展示は向井潤吉さんという画家の作品を出展していました。民家の、それも農村の絵が多かったです。
基本的に油彩でしたが、素描の分かる水彩画のものもあり、どれもリアリティのある絵でした。
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おわりに『現代に通づる内井さんの指摘』
内井さんはコンピュータ化の過程を建築家として経験した人です。内井さんは自身の論文で、コンピュータ化から生じる副作用を「思考と感覚の分離」というように捉えていました。
今はまさにその状況に陥ってしまっていると思います。重要なのはその副作用によって作られてしまう建物がどういうものになるのかということです。
世田谷美術館は設計するという行為を見失わないための「依り所」となる場所でした。