建物に刻まれた記憶を知る「佐喜真美術館」

建築

はじめに

佐喜眞美術館は沖縄の宜野湾市にあります。宜野湾市といえば米軍の普天間基地がある場所ですが、この美術館は普天間基地に隣接しています。

設計は沖縄の建築家、真喜志好一さんで、沖縄にある他の作品ではシュガーホールや沖縄キリスト教短期大学が有名です。

※沖縄は電車が那覇市内のモノレールしかないため、観光客の移動は車が最適だと思います。しかしそれなら風土を感じてみようとレンタサイクルをし、那覇から宜野湾まで約15kmを走って美術館へ行ってみました。

建物に刻まれた記憶

大通りから一本入り住宅街を抜けると佐喜真美術館がありました。1994年に開館したこの建物はRC造なのですが、その分外壁も年月を感じさせる古さが感じられました。

ボリュームが段階的に広がっていく外観で、屋上にも登ることができます。その屋上へは意味ありげな軸の取られた階段があるのですが、それは第二次世界大戦の沖縄戦が終結した1945年6月23日の「慰霊の日」の日没線に伸びるように設計されています。

その階段は空に向かって伸びていき、頂上にたどり着くと手前に普天間基地、その向こうに市街、海と広がる風景を見ることができます。

佐久間美術館の館長と建築家の真喜志さんは一緒に建設用地を探したようで、その夕日を見るにも基地越しに見ることが記憶をこの場所に刻む、という意図でこの敷地を選んだのではないかと思いました。

建物の沖縄的要素

敷地も建築家の出身も沖縄ということもあり、建物に沖縄的要素が現れています。まずファサードに現れているピロティです。モダニズムの名残りと言えなくもなさそうですが、沖縄的に捉えると雨端(アマハジ)です。

アマハジとは、雨や日射を避けるための軒と軒下空間を指しますが、沖縄の伝統的な住宅等で見られます。そしてそのアマハジにあるガラスのはめられた穴あきブロックです。

コンクリートブロックはアメリカ軍によって導入されたという経緯を持ち、沖縄では花ブロックが伝統的に使われています。

以上から建物には「雨端(アマハジ)」と「コンクリートブロック」という沖縄的要素を見ることができました。

敷地内の沖縄的要素

美術館の敷地内にも沖縄的要素は見られました。まず亀甲墓です。

亀甲墓は甲羅型の屋根をしており風葬をするための墓です。中国から伝わってきたと言われており、共同で使用する門柱墓・家族墓となっています。

そして沖縄赤瓦が亀甲墓の手前に並べられていました。沖縄赤瓦は沖縄地産の泥岩を使って、酸化焼成によって出来上がる瓦です。この赤瓦は沖縄の住宅をメインに使われており、沖縄の風景を作り出す素材の一つとなっています。

そういえば、島根に行った時に住宅の屋根にも赤瓦が使われていましたが、こちらは島根県産の石州瓦です。どちらも地産のものが風景を作り出すいい例だなと思います。

おわりに

佐喜眞美術館が普天間基地に隣接していて、最初は変わったところにあるなという印象でしたが、それこそが意図されたものだと知りました。

こうやって記憶を残すことを意図されている建物は他にも沢山あると思います。その記憶の残し方を可視化したマップなんてあるとより広く伝わるのかななんて思いました。

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