はじめに
世田谷にある前川國男さんの設計した建物を見学してきました。行った場所は以下の通りです。
・世田谷区郷土資料館(1964年完成。新館は1987年)
・世田谷区民会館(1959年完成)
・世田谷区役所第二庁舎(1969年完成)
それでは紹介していきます。
世田谷区郷土資料館
世田谷区郷土資料館(1964年)です。
外壁の縦にリブのついたプレキャスト板は類似するものをあまり見たことがないように思えましたが、白塗装が全体を少しチープにしている印象を受けました。
そう思っていたら、どうやら竣工当時は打放し仕上げだったようです。どういう経緯で塗装したのかは分からないのですが、必然の意味合いがあったのかもしれません。
採光と空気環境の身体感覚的評価
建物は庭園の敷地内にマッシブなボリュームとして存在していますが、自然との接続があまり取れていないように感じていたところ2階の大開口が黒塗りでまるまる潰されているのを発見しました。気になって当初の設計図面を見てみると案の定そこは窓の表記になっていましたし、新建築(1964年12月号)の写真を見ても窓そのものでした。
展示物を置くために潰しているのか、それともそのような耐震補強があるのか、真実は分からなかったです。やはり一つの建物で自然の中にあるという条件だと、開口の割合というのはある程度欲しいというのが感覚的に引っかかるものです。
吹抜け上部のトップライトは小さな開口を散らしているので埋め込まれた照明のように機能していました。このトップライトと大開口を外部とのメインの接続部分として考えていたでしょうから当初の空間を体験してみたかったです。
そして個人的な感覚として内部の空気環境があまり良くなかったように思えました。裏付ける証拠を見つけることはできませんでしたが、うまく空気の循環を作れていないのではないかと感じました。
「手すりのディテール」と「前川デザインのスツール」
内部には部分的にコンクリートの素肌とデザインされた手すりが見られました。手すりのデザインは前川さんがこだわるところのようです。そういえばロームシアター京都の手すりも三日月型にデザインされていたりとバラエティがあります。
一つ発見がありました。ここでも東京都美術館で使われているものと同じスツールが置かれていました。カラーバリエーションがあるスツールのようですが、ここでは全て青色でした。
(東京都美術館についての記事はこちら⇒立体的な楽しさの高揚「東京都美術館」)
郷土資料館という場所性
本館の隣のレンガ調の建物(新館:1987年完成)も前川さんの設計で増築されたらしいですが、ただ建物がブリッジで繋がっているようにしか思えなかったです。郷土資料館という「郷土」性は建物には含めなかったのかも気になるところです。
しかしそれがモダニズムの意図するところでありますが、そういうある種の批判的なものを薙ぎ払うくらいの強さを持った東京都美術館のような建物であれば全然構わないのですが、ここはどうも活力が乏しいように思えます。
同じ敷地内にあった茅葺の民家(世田谷代官屋敷の母屋)の方が生き生きしていてよかったです。風土に沿うのは断然こっちの方で、周りにはザクロが植えられてあったりトンボが大量にいたりしたのですが周囲の自然環境全てを抱擁する建物でした。
世田谷区民会館・区役所
世田谷区民会館・区役所はさすがというべき力強さを持っていました。建替えと保存の運動に揺れ動いていましたがどうなったのか調べてみました。
結果として「区民会館を保存し、庁舎は建替え」ということになったそうです。設計は佐藤総合計画で、解体着手が2020年度とのことです。
区民会館(1959年)は折板構造の壁面があり佐賀にある坂倉準三さんの市村記念体育館(1963年)を思い出しました。坂倉さんは前川さんの紹介でコルビュジェに師事していたということと、設計した時期が近いこともあり構造決定のルートに関連性がないこともなさそうです。
外周に回されたバルコニーがなんとも気持ちの良さそうでしたが封鎖されていました。現行基準では腰高が取れないのかと思います。
内部はスケルトンの印象が強くて、閉館になる前のような活気のなさが空間と一対一で向かい合うには程よかったです。ホワイエは勾配天井になっていました。
区役所は第二庁舎のみ今回は見学しました。軽く散策してみると引越しの前のように通路にはダンボールがたくさん積まれていました。
そのダンボール越しの壁には前川さんオリジナルの打ち込みタイルが貼られていました。東京都美術館のものよりは横長で、もうすこし茶色が強く、釉薬のテカリがあるタイルとなっていました。